お知らせ内容
3月24日 メッセージより
2024年3月24日 棕梠の主日礼拝メッセージ「真実とは何か」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 18章28-38節
「最後の晩餐」の後、反対するユダヤ教指導者たちによって逮捕、尋問され、その後、古代イスラエルを支配していたローマ帝国の総督ピラトの所に連れて来られたイエス様は、「どんな悪事を働いたというのか」(29)という問いに対して、「私は、真理について証しをするために生まれ、そのために世に来た」(37)と答えられました。目の前いる薄汚い一人のユダヤ人。縛られており、逃げ出すことも出来ず、話す以外は何もできない、仲間からも見捨てられた無力なたった一人の男。その男が証しする真理など一体何の役に立つというのか。ピラトは言いました「(お前が言う)真理とは何か」。「ヨハネによる福音書」17章には、イエス様による長いお祈りが記されています。そのお祈りの中に、「私を愛して下さったあなたの愛が彼らの内にあり、私も彼らの内にいるように」(17:26)、また「あなたが私の内におられ、私があなたの内にいるように、全ての人を一つにして下さい」(17:21)と言われているように、全ての人、全ての命が、命の源である神とつながって生かされ、イエス・キリストがいつでもどこでも共にいてくださっているということ、そのことに信頼して歩むということ、それこそが「真理」「真実」なのだと思います。
翻ってみると、私たちも日々の生活の中で、右を選ぶか左を選ぶか、判断を求められることが多々あります。しかし、右に行くのがよいのか、左に行くのがよいのか、それぞれの先には何が待ち受けているのかは、誰にも分かりません。先の分からないことを心配して、思い悩んでいても、気を病むだけですから、分からないことは分からないままに、その時自分が正しいと思える所、真実があると感じる方を選ぶということしかないのだろうと思います。それこそ「右に行きなさい」「左に行きなさい」というような天からの声が「お告げ」のように聞こえて来ることはありませんが、どちらを選んだにせよ、神様が「私はいつでもあなたと共にいる」と言って下さっていることには変わりはありません。それこそがイエス・キリストがその身をもって私たちに示し続けて下さっている「真実」なのだと思います。ですから、私たちはその「真実」に信頼して、安心の内にここからの一歩を踏み出して行きます。