お知らせ内容
5月19日 メッセージより
2024年5月19日 ペンテコステ礼拝メッセージ「立場から解き放たれて」より
牛田匡牧師
聖書 使徒言行録 2章 1-13節
本日は弟子たちの上に「聖霊」が降って教会が誕生したと言われている「ペンテコステ」です。「聖霊」と言われても、目で見ることも手で触ることも出来ないので、一体何なのかよく分かりません。聖書によると、「突然、激しい風が吹いて来るような音が天から起こり」「炎のような舌が分かれ分かれに現れ、一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされ、霊が語らせるままに、他国の言葉で話しだした」(2-4節)とあります。エルサレムの都には、遠くはローマ、エジプト、メソポタミアなど、何百キロ、何千キロも離れた国や町から、大勢の人々が集まって来ていました。様々な土地から集まって来た多くの人々は、それぞれの土地の言葉を話し、また肌の色も多様であったでしょう。彼らをつなげていたのは地縁や血縁ではなく、ユダヤ教徒であるということ、つまり律法を守り、律法に従った生活をするということでした。
それぞれが生まれ故郷の言葉を急に耳にしたのは、聖霊を受けた弟子たちが突然、超能力者になって学んだことのない外国語を話せるようになった、ということではなく、むしろ、聞くはずがないと思っている所で、それらの言葉を聞いた側の「聞く耳が開かれた」ということなのではないかと思います。つまり、ユダヤ人、ユダヤ教徒らしく、律法を守らなければならない。「〇〇しなければならない」という立場へのこだわりから解放されて、それぞれが自分たちの言葉で神の偉大な業を語ることができ、聞くことができるということに気付くことができた、ということなのではないでしょうか。聖霊は、目には見えませんが、確かに存在し、私たちに働きかけてくれる存在です。その聖霊に励まされる時、私たちは「こうしなければならない」「そんなことあるはずがない」という立場から解き放たれて、ありのままの自分の気持ちに素直になり、またあるがままの社会の現実に対して素直に目を注ぎ耳を傾けられるように変えられて行くのではないかと思います。私たちは今日もここから、聖霊によって力付けられながら、歩みを進めて参ります。