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5月26日 メッセージより

2024/05/31(金)

2024年5月26日 メッセージ「手を離さないで」より

水谷憲牧師

聖書 詩編 37編 23-40節

 私たちの人生は、予測不可能。まっすぐ進むつもりが横へそれたり、全く違う方向へ進んだと思っていたが、振り返れば、おおむね自分の目指していた方向へ向かっていたとか。無難に見える道でも、必ず何らかの山だって谷だってある。今日の詩編によると、神は人の一歩一歩を定め、御旨にかなう道を私たちに備えているという。私たちが出口の見えない試練の中にあっても、神は私たちと必ず共にあるというのだ。「人は倒れても、打ち捨てられるのではない。主がその手をとらえていて下さる。若いときにも老いた今も、私は見ていない。主に従う人が捨てられ、子孫がパンを乞うのを(2425)」。この詩編の歌手は、神により頼む人が倒れたまま放っておかれ、またその子孫までもが苦しむ様子を見たことがないと言っている。つまり、私たちの苦しみも、私たちがただ神により頼み、イエスを私たちの救い主として信じているなら、決してそのままに捨ててはおかれない。きっと救い上げられるということだ。だから、主に望みを置き、主の道を守れ、無垢であろうと努め、まっすぐに見ようとせよ、と歌手はうたう。主に従い、主の道を守っていても、苦しみ悩み・不幸は起こる。しかし、苦しくて叫びたくなるような試練の中でも、神は復活のイエスと共に、必ず私たちを助けて下さる。神は、心を尽くしてすがる者を決して見捨てたりはされないのだから。

 「子育て四訓」というものがある。「乳児はしっかり肌を離すな、幼児は肌を離して手を離すな、少年は手を離して目を離すな、青年は目を離して心を離すな」。神は、自分の大事な子であるキリストを身代わりとして犠牲にするほどに、大切に思ってくれているのだ。こんなしょーもない私たちのことを。人間の親には、よい親も悪い親もいろいろだが、だからこそ私たちは、私たちの創り主、親である神の愛情を信じてゆきたい。人間の親はどうあれ、神だけはいつも私たちのことをぎゅっと包んでくれている。神だけは、私たちの手をしっかりと、離すことなく握ってくれている。神だけは、私たちから目を離さず、いつも見守ってくれている。神だけは、いつも私たちと心を共にしてくれているのだと。三位一体の神が、私たちを様々な試練から救い上げてくれることを強く信じるとともに、私たちも「私の手を離さないで、私もあなたの衣を握って離さないようにします」と祈りたい。

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