お知らせ内容
7月7日 メッセージより
2024年7月7日 メッセージ「真実の持つ力」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネによる福音書 5章 31-40節
「聖書は私について証しをするものだ」(39)というイエス様の言葉は「イエス・キリストのことは、旧約聖書の中に何百年も以前から預言されていた」という表層的な意味で、イエス様が自己弁明したのではなく、「私の行っていること、その業、行動の全ては、私個人から出たものではなく、神様から出たものであり、聖書に裏付けられ、支えられているものだ」ということを言われたのだろうと思います。イエス様は何故その生涯を通して力強く歩めたのか、敵対者から迫害されても、逃げることなく歩むことができたのか。それはイエス様が神の子だから、生まれた時からのスーパーマン、超能力者としてすごかったのではなく、ヘブライ語聖書の中に記されている通り、この世界を創られた命の神は、全ての命を愛おしまれ、大切にされる方であり、それらが傷つけられたり、失われたりすることを望んでおられない。窮地にあっても、かならず助けがある。いつでも神様が共にいて下さって、自分は一人ではない。そのようなことの一つ一つに全幅の信頼を寄せて、一歩ずつ歩んで来られた。その結果が、イエス・キリストのこの地上での歩みに他ならなかったのだろうと思います。今から約2000年前にパレスチナの地を歩まれたイエス様は、時の権力者たちによって暴力をふるわれ、十字架刑という処刑に処せられました。しかし、「真実をしっかりと掴んでいた(サティヤーグラハ)」(ガンディー)彼は、敵対者たちを前にしても妥協することもなく、十字架から逃げることもなく、非暴力不服従を貫き、真実だけが持つ力によって、真実に踏みとどまり、暴力に抵抗し、復活させられ、今も多くの人々の中に息づいています。
「守るべきものすべてにも増して、あなたの心を保て。命はそこから来る」(箴言4:23)の言葉の通り、神様から創られたあなた自身の心の中に、真実を見分け、命へと至る心があります。その心に嘘をつくのではなく、正直に、素直になって向き合う時、私たちは真実をしっかりと掴み、命へと至る道、イエス様の後に従って歩む道へと、導かれて行きます。権力に忖度するのではなく、嘘に嘘を重ねるのではなく、真実に生きることができる。そこに他ならない神様も共にいて下さる。だからこそ正しい道を歩んでいくことができる。その心と力が与えられていることを信頼して、今日もここから、私たちは一歩を踏み出して参ります。