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7月14日 部落解放祈りの日礼拝メッセージより

2024/07/20(土)

2024年7月14日 部落解放祈りの日礼拝メッセージ「恐れることはない」より

水谷憲牧師

聖書 ヨハネによる福音書 6章 16-21節

 「恐れ」は最も基本的で原始的な感情だという。本日の聖書、イエス様が湖の上を歩くという話は、私たちの命の危機や自分の存在に関する「恐れ」について、神が私たちに何らかの示唆を与えているように思う。奇跡の食事が終わり、夕方になったので、弟子たちは舟で湖の向こう岸へ行くために暗い中ガリラヤ湖に漕ぎ出した。すると、強い風が吹いて、湖が荒れ始めた。弟子たちは、命の危険や、暗闇の向こうで自分たちを待ち受ける何かに対する恐れでいっぱいであったろう。彼らの姿は私たちの姿と同じ。日曜日を終えてからの日常生活、私たちはキリスト不在の中でこの世の荒波を何とかして乗り越えようとがんばっている。しかし、神やイエスは今おられないと思いこみ、自分のことで精一杯になっているから、心配して様子見に近づいて来られるイエスの姿を、自分たちを襲う荒波と同様に見間違い、恐れてしまうのかもしれない。

 しかし、恐れてはだめだ。確かにキリストは、世界中の数々の昔話や伝説が語るように、必ずしも私たちの望む姿で現れるとは限らない。時には敵の姿やみすぼらしい姿で現れ、私たちを試されることもあるが、しんどい時こそ、恐れずに周りをよく見たい。波は高くても、キリストはどこからか見ていてこちらに近づいておられるかもしれないから。そして私たちが自分たちの無力さを謙虚に受け入れて、むやみに自分でがんばろうとすることをやめた時、私たちは初めてそれぞれが直面している困難を乗り越えることがきっとできるだろう。なぜなら「弟子たちがイエスを舟に迎え入れようとすると間もなく、舟は目指す地に着いた」と書いてあるから。彼らがイエスを舟に迎え入れ「たら」ではなく、迎え入れ「ようとしたら」その舟は目指す地に付くことができたのだ。結果は問題ではない。「自分で乗り越えなきゃ」という思い込みから解放された時、向こう岸に着くことは決定しているのだ。キリストが私たちと共にいて下さる限り、私たちに恐れるものは何もない。

 本日は、部落解放の祈りの日。私が出会ってきた人々は、差別の苦しみに悔しい思いをしつつも暴力に訴えることなく、人として当たり前に生きていきたいという願いをもった人々だった。そういう出会いをすることなしに、ただ噂話やネットの適当な情報に振り回され踊らされて、何がしかを知ったかのように振舞う姿は滑稽でしかない。私たちは日常の中で知らぬうちに、もっともな理由をつけて誰かを差別して遠ざけてしまっているかもしれないが、直接顔を合わせてつながることで、恐れからも差別からも互いに解放されてゆきたい。

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