お知らせ内容
8月4日 平和聖日礼拝メッセージより
2024年8月4日 平和聖日礼拝メッセージ「平和に生きる」より
牛田匡牧師
聖書 ヨハネの手紙Ⅰ 4章 16節-5章5節
今日は「平和聖日」です。先月末からパリでオリンピックが開催されていますが、国家間のいわゆる「代理戦争」として、スポーツ競技で国同士が競い合い、メダルが争われているだけではなく、今も尚実際に「代理」ではない戦争、人々の命が奪われている戦争が、世界の各地で続けられています。また爆弾や銃弾が飛んで来なくても、住む家を失い、食べる物を失い、他人とのつながりを失い、今日を生きるに事欠く人たちも、世界中のあちこちに大勢おられます。果たしてこのような状態を「平和」だと、誰が言えるでしょうか。「平和」というのは、単に国同士の戦争が止んでいる状況ということだけではないはずです。聖書で言う「平和」は、「欠けている所がない」状態、過不足なく均衡のとれた状態のことを指す言葉です。そのような完全にバランスのとれた世界の実現を目指すにはどうしたらよいのでしょうか。この世界を支えている根底にあるものとは、一体何なのでしょうか。
今回の聖書の言葉には、「目の前の人を大切にすることが、神の戒め(掟)であり、それこそが神を大切にすることに他ならない」ということが記されていました。また「私たちは信仰によって、もうすでに世に勝っている」とも言われていました。ここで言われている「世に勝つ」とは、「信仰の結果として、世の価値観に流されないでいられることがある」ということなのではないかと思います。「信仰」とは、単に口で、「神様を信じています」と言うことではなく、実際に身近な人たちに対してその人たちを大切にするように行動することです。イエス様がその身をもって示して下さったように、私たちにもそうすることができる、その能力が与えられているということに信頼して、勇気をもって一歩を踏み出してみること。そこに世の価値観に流されたりしない秘訣はあるのではないでしょうか。この現実の世界は、右か左かどこに正解があるのかが分からない、混迷を深めるばかりの世界です。平和を望むと言いながら多くの人々の血が流され、「あなたのために」と言って暴力が振るわれています。矛盾に満ちた、出口の見えない世の中にあっても、迷ったり、諦めてしまったりせずに、活路を見出していく。そのために目の前の一人一人に向き合い、その人をその人として大切にして行く……。本当の活路、私たちが互いに「平和に生きる」道はそこからしか始まらないのではないでしょうか。この平和聖日に、私たち一人一人が、平和を創り出す者として、送り出されて歩み出して参ります。