お知らせ内容
6月28日 メッセージより
牛田 匡 牧師
聖書:ヨハネによる福音書 4章 5-26節
今回の物語はイエス様が、サマリアの町の井戸のほとりで水を求めたというお話です。サマリア人は、ユダヤ人からすると忌避すべき異邦人・異教徒であり、自分たちよりも下の存在として見られていた人たちでした。それにもかかわらず、イエス様はサマリアに行かれ、そこで一人の女性に「水を飲ませてください」と声を掛けられました。するとその女性は驚きました。なぜなら「ユダヤ人はサマリア人とは交際していなかったからである」と福音書記者は説明しています。しかし、この9節後半の説明書きは、この女性の発言としても読むことが可能です。すると「あなたはユダヤ人であるのに、どうしてサマリアの女である私に、飲ませてくれと頼むのですか。ユダヤ人はサマリア人とはつきあわないじゃないですか」と言うこの女性の印象は、大きく変わるのではないでしょうか。まるで「普段は自分たちのことを下に見て、差別しているのに、水が欲しいだの食料が欲しいだの、自分たちに都合の良いように、私たちを利用することは止めてほしい」と言うかのようです。きっとこの女性は自分の尊厳をかけて、勇気を出して言ったのではないかと想像します。
しかし、イエス様はその言葉には、良いとも悪いとも、直接は答えられませんでした。確かに渇いている人には水が必要です。抑圧されている人には解放が必要です。しかし、暴力に暴力で抵抗してはいけないように、差別されていた人たちが逆に差別する側になってもいけません。差別する側にいた人たちもまた、その立場から解放される必要があります。「永遠の命をもたらす水、自らの内で泉となって湧き続け、それを飲めば決して渇くことがない命の水」とは、そのような右と左、差別と被差別、支配と被支配という対立それ自体を乗り越えて行くものなのではないでしょうか。
そのようにして真の平和を実現するもの、イエス・キリストの福音は、どこにあるのでしょうか。イエス様は勇気を出して、抵抗の声を上げたサマリアの女性に言いました。「あなたは神様からの賜物、贈り物を知っていますか。『水を飲ませてください』と言ったのが誰だか知っていますか」。この答えは、神が人間となったイエス・キリストです。真の平和、全ての人を活かす命の水、イエス様は最も低く小さくされた所におられます。ユダヤから切り捨てられていたサマリアの差別されていた女性との出会いの中にイエス様はおられました。「出会いは神様からの贈り物」……。私たちはどこでイエス様と出会うでしょうか。そしてまた、どのようにして命の水、真の平和を得るでしょうか。神様から与えられる出会いの一つ一つを大切にしながら、私たちは今日もまたイエス様と出会う歩みへと導かれて行きます。