お知らせ内容
11月17日 メッセージより
2024年11月17日メッセージ「敵を愛せよとの神の言」より
牛田匡牧師
聖書 マタイによる福音書 5章 38-48節
今回のお話は、「悪人に手向かってはならない」(39)、「敵を愛しなさい」(44)とイエス様が言われたというお話でした。ですが、何かしらの暴力や抑圧を受けている人に対して、そのようなことを言っていたら、殺されてしまいかねません。イエス様は、どうしてそのようなことを言われたのでしょうか。「右の頬を打つ者には、左の頬をも向けなさい」(39)という言葉がありますが、こちらが右の頬を打たれる際、向かい合っている相手は左手で打っていることになります。しかし、実際には右利きの方が多いので、左手の掌ではなく、右手の甲で打っていることになります。これは相手を穢れた存在と見なして、掌ではなく手の甲で払うということですから、より一層侮辱した行為です。そのように自分を侮辱してくる相手に対して、こちらから更にもう一方の頬を向けるというのは、通常では考えつかない、突拍子もない反応でした。また布製品がとても高価なものであった当時、「借金のかたとして普段着を取ろうとする者に、上着をも与えなさい」というのも、相手に対して通常では考えつかない、突拍子もない反応に他なりませんでした。
これらが言っていることは、決して「黙って、従順に、されるがままにしておきない」という「無抵抗」ではなく、また「目には目を、歯には歯を」というように暴力で対抗することでもなく、むしろ「非暴力で不服従を徹底する」ということなのではないかと思います。39節の「悪人に手向かってはならない」は、正しく訳すと「威圧者のように対峙するな」です。暴力に暴力で対抗した先には、滅びしかありません。また「非暴力無抵抗」でも、自分の心身が破壊され、殺されていくだけです。第三の手段として、尊厳を持って不服従すること、その先にこそ活路があるということなのではないでしょうか。
「敵を愛せよ」という神の言に従って、自分たちを傷つけて来る相手をも大切にするということは、とても出来そうにない難しいことです。ですが、全ての命が神様によって生かされているのですから、たとえ敵対する相手であっても、大切にすることが出来る道があるはずです。搾取と暴力、対立と破壊とは異なる、新しい道へと共に活路を見出して行くことが出来るように、私たちは日々、少しずつ成熟させられ変えられていきます。